空へ舞い上がる紅葉を見つめて
車、バス、電車、飛行機など乗り物に乗る時、必ず通路側に座る派だ。
窓側に座り綺麗な景色を見たい気持ちは山々なのだが、どうしてもそれが出来ない。
エレベーターや会議室、職場の席順だって同じだ。本当は、窓側に座りぼーっと外を眺めていたいのだが、それは田舎に限られたことで、今私が住んでいる東京では絶対に出来ない。
小さな頃から都会に憧れており、大学進学と共に上京してきた。高校からの友達も少なくなく、それに大学の友達が加わり、土地感覚も掴めてきた私にとって、東京以外で就職する選択肢はなかったのだ。
前から人混みはきらいだった。
「東京に住んでればすぐに慣れるよ〜」と言われ続けて早7年。慣れる気配はなかった。
「じゃあ長野に戻れば?」と言われるようになって早数年。そう言われるとなんだか寂しくなり、意地でも東京に居座ってやろうじゃないかという気持ちになった。
友達もいるし買い物や遊ぶことに事欠かない東京を、なんだかんだ好きなのだ。
離れる気は一切なかった。
「ごめん待った?」
友人の果帆が駆け寄ってきた。
「ううん、私が早く来すぎただけ。」
待ち合わせ時間は午後の12時。私はここに、11時には着いていた。
自分で勝手に早く来たのだから、果帆につべこべ言う資格はないが、正直1時間も駅前で待っていれば疲れてしまった。
「茉莉花(まりか)どこから歩いてきたの?」
果帆が、マフラーを巻きながら言った。
「4つ隣の駅から。もう少し時間かかるかな?と思ったんだけど、予想よりも早く着いちゃって。」
そう、私は最近、ついに電車に乗ることが億劫になり混み合う路線を避け、徒歩をメインに移動をしているのだ。
「だから、私が茉莉花の最寄りまで行くって言ったじゃん。バカだね。」
「いいよ、果帆の家から遠いじゃない。運動にもなるし、ちょうどいいんだ。」
何がちょうどいいのかは分からないが、そういうことにしておくのだ。
「茉莉花、お昼何食べたい?」
「近くにいい感じのお店があるんだ。果帆、オムレツ好き?」
「いいね、そこ行こう。今日、なんかあったかいね。」
そう言って果帆は、先ほど巻いたマフラーを再びほどいた。
すぐに物を無くす果帆は、マフラーを自分の鞄にくくりつけ、落とさないようにした。いくつ物を無くしただろうか。手袋、定期入れ、お弁当袋、メガネケース、、、私が知っているのでもこれだけ無くしているのだから実際はこれ以上無くしているのだろう。
「そう言えばね茉莉花、この前傘を忘れたわけよ、電車の中に。おばあちゃんがもう要らないって言ってた傘だから別に良いんだけどさ、一応JRに問い合わせたら、届いてたのよ〜。やっぱり、愛情持って接していれば持ち主のところに戻ってくるのね。って言っても、私の傘ではないけど。」
果帆がいつもの高いテンションでそう言った。
そうなのだ。果帆はいつも物を無くすくせに、必ず無くしたものが戻ってくるという能力を持っているのだ。別に名前を書いているわけでも、特別奇抜な柄のものを使っているというわけではない。だが、不思議なことにいつも戻ってくるのだ。
対して、私はよく物を見つける。
その理由は明確で、下を見ながら歩いているからだ。これ以上の理由はない。
下を見て歩くようになるまで気付かなかったが、東京の街には本当に色んなものが落ちている。小銭はしょっちゅうだが、今ではあまり使わないテレフォンカード、Suica、ボールペンやシステム手帳など個人情報満載のものも多い。小銭やボールペンなんかはそのままパクってもバレないだろうが、下を見ながら歩いている私が貰のは筋違いな気がして、律儀に毎回警察に届ける。警察の対応もまちまちだ。感謝されることもあれば、「余計な仕事を増やすなよ」と言いたそうな警察官まで。
私は知ったこっちゃないけど。
「果帆、やっぱりさ、今日あったかいからコンビニでお弁当買って公園行こうよ」
オムレツ屋さんまで行く道のりに、大きな交差点と高層マンションが最近できたのを思い出したのだ。選択肢がなければ通るが、果帆から許してくれるはずだ。
「いいよ、ちょうど紅葉が綺麗な時期だし。大賛成。」
果帆はくるっと向きを変えて、コンビニの方向へ歩き出した。
紅葉の時期、、、確かに。
徒歩の時間が増えた割には、前や上ではなく下を向いて歩く時間が増えただけなので、季節の移り変わりにすっかり鈍感になっていた。
住宅街に入り少し目線を向けてみると、見事な紅葉が。
「綺麗な赤だね」
果帆に向かって言った。
「そう?だいぶ色あせてると思うけど。」
と果帆は、自分のセーターを見ながら言った。
「違うよ。紅葉だよ。」
果帆はケラケラ笑って、近寄ってきた。
「茉莉花知ってる?紅葉と楓って、英語ではメープルで一緒なんだって。」
「へえ、そうなんだ。でも、違うのにね。」
「茉莉花、何が違うか分かるの?」
「切れ込みの深さでしょ?これは、深くまで切り込みがあるから紅葉。でも、紅葉をメープルって言うのは知らなかったな。果帆、よく知ってるね。」
「昨日、テレビで見たんだよ。」
果帆は自慢げに言った。
果帆に違和感を伝えたのは2ヶ月位前のこと。
「それ、パニック障害的なやつじゃない?」
と果帆には言われた。
私はすぐに否定した。
違和感があるだけで、どうしても耐えきれないとかではないし、自分でハンドルしようと思えば出来るからだ。病院にはもちろん行ってない。
飛行機から都会の街を見たり、マンションを見ていたりすると、猛烈な吐き気に襲われることがある。だからと言って吐いたことはない。
たくさんの国や街や村があって、たくさんの家族があり、たくさんの人がいるというのに、なぜ私は私なんだろうって。なんであいつでもこいつでもなく、私なんだろうって。江戸時代でも昭和でもなく、これから来る未来でもなく、なんで今なんだろうって。
私という「個」で生まれた「自我」を認識した途端に、吐き気がしてきて、「自我」がどんどんと崩壊していく。
2ヶ月前に果帆に話しをした時も、同じ赤いパーカーを着ていた。
「茉莉花らしいというか、なるほどね〜。そう言われてみると気持ち悪いね。」
「別にだからどうってこともないんだけどね。仕事中は、その気持ちを封印するのよ。でも、ふっと気が抜けて、20階のビルから下を見下ろすと、うじゃうじゃ人が歩いてるじゃない?もう、ダメなの。」
果帆は赤いパーカーの袖をいじりながら、「うーん」と考え込んだ。
「私があいつだったらなぁとか、そういうこと?」
「それもまた違う。生命の「個」ってニアミスは起こりえないと思うのよ。根本的に。“私があの交差点を渡っていたかもしれない”っていうニアミスはあると思うんだけど、それでも“私”に変わりはないわけで。“私が果帆であったかもしれない”っていうおはありえないんだよね。そしたらもう“私”でなく“果帆”だから。」
「自我の捉え方か。なんか学生時代を思い出すね。」
そう、私と果帆は同じ大学で哲学を学んでいた。
「選択肢があっての“私”ではなく、ノーチョイスの中から“私”がいるのであって、なのに、ノーチョイスからこんなにも多くの人が誕生してるなんて、気持ちが悪い。」
「それを、ある人は“奇跡”と呼ぶよ。」
「ある意味奇跡かもね。奇跡ってのは、常識では考えられない神秘的な出来事だもんね。」
「でも茉莉花は、“奇跡”とは“神秘的”とかそう言った綺麗な美しいものとしては捉えることが出来ないんだ。」
「そう。非常に気持ち悪い。気味が悪い。吐き気がする。」
「難しいことを言ってるように聞こえるけど、当たり前のことっていうか、当たり前のことの方が複雑っていうか、1と2はそう変わらないけど、0と1は全く違うというか、そういうこと?」
「0と1の議論は今はやめようよ。私の頭が今以上に破裂しそう。」
高校生の時、0から1が生まれる理論が分からず、それを解決したくて哲学科に入った。果帆と私の間では“0と1議論”と呼ばれ、数年議論を重ねているが、まだ解決には至っていない。はあ、解決していない問題が他にあることを、果帆のせいで思い出してしまった。
「とにかく果帆、私は今こういう状態なの。」
「分かった。茉莉花の抱える問題っていうのは、いつも単純なことに向き合うことによって生まれる複雑よね。解決しようと思わず、とりあえず問題から回避することを考えよう。」
そう言って、果帆は、電車に極力乗らないことや、エレベターではなく階段やエスカレータを使うこと、 人混みを避けることを提案してくれた。
それ以来私は、その提案に乗っかることにした。
公園が近づき、冷たい風が吹いた。
公園の中で生い茂る紅葉の木から、真っ赤に染まった葉が空へと舞い上がった。
青く澄んだ空に駆け上る真っ赤な葉は、空の青さを一層引き立たせる。