ポラリスの向こう

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橋をくぐって雨が降る《福岡県柳川市》

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「頭を下げて下さーーい。」

独特の語尾を伸ばす喋り方で、船頭さんが乗船客へ呼び掛ける。

何を言っているのか理解していなかった乗船客も、その橋が近づくにつれてその意味を理解する。目の前には、頭を下げて屈まなくては通れない程の低く狭い橋がかかっている。その下を、この舟で通るというのだ。

 

城跡を囲うお堀は、意外な程入り組んでおり、大小いくつもの橋が架かっている。今回のように屈まなければ通れない橋もあれば、立ち上がっても手が届かない高い橋もある。幅もそれぞれだ。舟と舟がすれ違うことが出来る広い橋や、一艇が通るのもギリギリな狭い橋まである。

 

お堀の両脇には緑の柳の木々が、風になびいている。

流れはなくとも、一定の距離が続くお堀はまるで川のように見え、なるほど、これが“柳川”と呼ばれる由来かと納得できた。

  

向かいには、まだ言葉を覚えたての子供が座っていた。彼女のお父さんは、頭を伏せることを身振り手振りで子供に教える。実際子供は、頭を伏せる必要のない程の背丈なのだが、何でも真似してやってみたい年頃なのだろう。両脇に座る両親と同じように深く大きく頭を下げた。

「どう?私ちゃんとできてる?」

と言わんばかりに、小さく屈みながらお父さんを見上げる。お父さんから指でグッドサインが出るとキャッキャと騒ぎ、小舟を小刻みに揺らす。

 

転職を繰り返し、30歳を迎える前に4度目になった。仕事が嫌になって辞めているわけではないが、「これだ!」といういわゆる「天職」と思える職でない気がし、その上、他職への興味が抑えきれずに転職するのがいつものパターンだ。

 

その間に周りの同級生たちは、会社内での実績と信頼を築き上げ、コツコツとキャリアを積み上げていた。羨ましく感じることもあれば、同じ環境でずっと居続けることを我慢しているようにも見え、嫉妬心はあまり生まれなかった。

 

転職の際には、仕事と仕事の間は少なくとも1ヶ月は空け旅行に出て、自分と向かい合う時間を作るようにしてる。

自分探しなんて大学生がやることで、三十路を迎えたおじさんは、自分の仕事や家庭に全力を注ぐやつが多い。一方で俺は何をやっているんだ、毎度の事ながら思う。

だから、“自分探し”などという言葉は使わず、あえて“自分と向き合う時間”などと言って、リフレッシュ感を出すようにしているが、実際は大学生時代にしていたことと何も変わっていない。

 

今回もその休暇中に、学生時代の友人である十条と柳川に来た。

 

「おい、頭ぶつけるぞ!」

と十条が言い終わらないうちに、柳の枝が勢い良く頭にぶつかってきた。

「いってえ。もっと早くから言えよ。」

頭についた柳の葉っぱを一つ一つ取る。くせ毛の俺の髪の毛には沢山引っかかった。

「お前がぼーっとしてるからだろ。」

と十条が言う。確かに前方など全く見ておらず、目の前の小さな子供を口を開きながら見ていたのが事実だ。

「うるせえ。だいたいアラサーの男が2人で来る場所かよ。」

「俺が営業で外出出来ることを良い事に、お前が誘ったんだろうが。」

「忘れたよ。そんな経緯。」

実際は忘れたわけではなかったが、学生の時からの友人と旅先で会えるなんて、またとないチャンスだと思って半ば無理やり、俺が十条を誘ったのだ。

 

十条の地元は北九州で、大学進学を機に東京に出てきた。学部が一緒でかつほとんどの授業が被っていたので、大学時代に1番一緒に時間を過ごした。

 

客観的に見れば奇妙な組み合わせだ。俺はジーパンにパーカー、方やスーツを着たサラリーマンの2人が柳川の川下りの舟に乗っているのだから。

 

「最近どうだ?」

北九州で働く十条に尋ねた。

「どうだも何も、前と一緒だよ。朝起きて午前中は外回り、午後は会社で事務仕事。」

「そうか、順調そうだな。」

「まあな、同じ会社の同じ部署に5年もいれば、多少のトラブルにも慣れてくるさ。一人で対処できない時に泣きつくことが出来る同僚や上司も出来た。何とかなるよ。俺なんかよりお前はどうなんだよ。」

十条に聞けば当然俺にも同じ質問が返ってくるだろうと思いながらも、自分のことを答える準備は何もしていなかった。

「いいよな、十条は。ちゃんとした仕事をちゃんとやっててさ。地に足が付いてるっていうか、模範的だよな、本当に。」

転職することを両親に伝える度に、地元の長野に返ってくるだろうと期待され、毎回その期待を裏切ってきた。十条は地元の企業に勤め実家暮らし。俺とは全く違う。

「嫌味を言ってるのか?」

と十条は言った。

「嫌味?そんなことないよ。安定だろうし両親も喜んでるだろ。」

と俺が言うと、十条は小さなため息をついた。

「確かにそうかもしれない。でも、俺みたいな奴って、蒼みたいな奴のこと羨ましいんだぜ?おい、前向け。今度は痛いじゃすまないぞ。」

目の前に迫ってくる低い橋に備え、二人で身を屈めた。

 

「頭を下げて下さーーい。」

船頭さんの声に合わせ、皆が身を屈め始めた。

目の前の女の子は、またキャッキャ言いながら必要以上に身を屈め、父親からのグッドサインを待った。しかし、彼女の父親は柳並木をカメラに収めることに夢中になっていた。

 

マズローの欲求のピラミッドで言うと、三つ目の段階「所属と愛の欲求」に当るだろうか。彼女が父親を見る目は鋭くそして脆く感じた。恒久的に存在しそうな熱い目線のようにも見えるか、すぐにプツンと消えてしまいそうな刹那的でもあった。彼女の「欲求」の詰まった目線は宙に浮き、俺はどうしてもそれを放置する事が出来なかった。

彼女の欲求を父親でない自分が満たせるかどうかは分からないが、一瞬彼女が父親から目を離した隙を狙って、グッドサインを彼女に出した。

彼女は困惑した表情を浮かべたが、すぐに恥ずかしそうに俺に微笑みかけた。父親が満たすことの出来るうちの何%を俺が満たすことが出来ただろうか。

 

俺は、一体どの段階にいるのだろうか。

四つ目の段階「承認欲求」の中の低次の「他者承認」から高次の「自己承認」の間をもがいている状態だろうか。もしくは、目の前の彼女と同じように、「所属と愛の欲求」に駆られているだけだろうか。誰かからのグッドサインが欲しいが為に、転職をしてコロコロと所属を変えているだけかもしれない。

 

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「蒼、あのさあ」

狭く低い橋をゆっくりと通り過ぎた後に、十条が再び話し始めた。

「前に聞いてきたろ、“それがお前のやりたい事か?天職か?”って。」

「前回の転職の時な。十条お前、答え出さずに泥酔したよな。」

「よく覚えてるな。実はあれからちょくちょく考えてたんだ。で、昨晩蒼に会うことはが決まって、また同じこと聞かれると思って考えたんだ。」

「聞くつもりなかったけど」

そんなことあったな。2回目の転職の時か。蒼自身がそんなことを聞いたことすら言われなければ思い出さなかった。

「だから、俺がこの話しをしてるんだ。」

「ああ、そう。」

用もないのにスマホをポケットから取り出した。

「答えとしては、天職かなぁと思うよ。」

十条はそう言った。スマホに何も通知が来ていないことを確かめ、再びジーパンのポケットにしまった。

「やっぱ、すごいな、お前。」

さらっとその単語を口にする十条がたまらなく羨ましく見えた。

「違うんだって。俺にはこれしかないんだ。今後もこの仕事を続けるしかないんだ。そういう意味で、天職って答えなきゃいけないし、天職にしていく必要があるんだ。」

「そう思えるだけですごいって。」

「すぐにそういうのやめろよ。蒼の悪いところだ。自分を卑下して相手をすぐに認めようとする。まずは自分のこと認めろよ。」

「すごいとか偉いとか、そうじゃないんだ。もっと俺に合う職業や職場、生活環境はもしかしたらあるかもしれない。けど、そうじゃないんだ。俺はここにいて、少なくとも必要とされている環境にいる。だから、それを全うしてるだけだ。蒼の生き方を否定するつもりは毛頭ないが、自分だけ最悪な状況にいるような、自分を卑下するスタンスだけはやめろ。」

「卑下なんかしてないさ。ただ、上を目指してるつもりなのに、届かないっていうかもっと遠くなってるような気がしてさ。低次から高次に、永遠にたどり着けない気がするんだ。おい、今度は十条お前が前を見ろ。」

熱くなっている十条は、前を見ることを忘れているようだった。2人はお互いの目を背けるように身を屈め橋の下を通る準備をした。

 

仕事の話なんてするつもりなかった 。でも、蒼自身から始めたのだから、仕方ない。

わざわざ十条に会いにきたのに、皮肉にも、橋の下で顔を合わせない時間がほっと出来る時間になっていた。

 

橋の下を過ぎ、皆が一斉に顔を上げた。

2人は、顔は上げたものの、互いの顔を見る事も会話を再開させることもなく、ただ目の前に過ぎていく景色を眺めていた。

 

「雨が降って参りましたーー。もうすぐ着きますので、少しスピードを上げまーーす。」

船頭さんはそう言って、舟を漕ぐスピードを少し上げた。

確かに、言われてみれば小雨が降っていることに気づく。パーカーとジーンズの俺に小雨なんて関係なかったが、スーツを着ている十条が気になった。しかし、完全に話し掛けるタイミングを失ってしまい、小雨に濡れるスーツを横目で見るだけだ。

 

「雨 雨 ふれふれ 母さんが 蛇の目でお迎え 嬉しいな」

 

十条が突然隣で歌い出した。

誰かに歌っている声量ではないが、俺にははっきりと聞こえる声量だ。

「おい、なんだよいきなり。」

 

「ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん」

 

十条は蒼の声が聞こえなかったかのように、歌い続けた。 

「恥ずかしいなよせよ。」

「蒼、知らないのか?白秋先生の代表先だぜ?」

北原白秋が柳川出身であることは知っていたが、この童謡が白秋先生の歌詞であることは知らなかった。

「もっと早く言えよ。逆に俺が恥ずかしいじゃねえか。」

「この状況にピッタリな歌だろ?」

「もっと降ってくれみたいな願望はないけどな。」

「そうか?もっと降ってくれたら、会社に帰る時間が遅くなる理由が出来る。」

「それならいいが。」

十条のスーツを心配して損をした気分になった。

 

舟が岸に着いた。

「皆様、足元に気をつけて降りて下さーーい。忘れ物はしないよう、お確かめ下さいねーー。」

岸に近いところに座っている人から順に舟を降りていく。小雨のせいか足早に降りて行く他の乗客を見送りながら、結局2人は最後に降りた。明るく振舞ってくれた船頭さんに軽く会釈をして、舟降り場を後にする。

 

「なあ蒼、マズローの欲求のピラミッド覚えてるか?」

「ちょうど橋の下で、考えてたところだ。」

「やっぱり。低次とか高次とか言い出すから、マズローしか思い浮かばなかったんだ。」

「さすが心理学部。」

「高校で習うさ。」

「そうか?」

「まぁ、考えていることがすぐに口に出るのは、お前のいいところだな。相手に伝わりやすい、こちらからしても分かりやすくて宜しい。」

「それを言う為に、マズローの名前出したの?」

「いや、違う違う。ピラミッドのことを考えてたら、蒼が5段目でなくその上に駆け上がろうとしているのが想像できた。」

「誰しも、そこに向かっているだろう。十条お前だって。」

「確かに、向かってるよ。もちろん向かってるさ。でも、蒼は一気に向かい過ぎている気がしてならないんだ。一段一段見ろよ。一気に駆け上がろうとするな。気がつくと、一番下に落ちるぞ。」

「偉そうに言うな。」

「確かに、悪かったな。忘れてくれて構わない。」 

十条の言う通りなのかもしれないが、素直に賛同することは出来なかった。

 

  

「蒼、この後どこ行くんだ?」

「決めてない。あと2週間あるからな。福岡に戻って新幹線で一気に鹿児島くらいまで行こうと思ったけど、せっかく柳川まで来たんだ。普通電車でゆっくり下るよ。」

「駅まで送るよ。」

「悪いな。」

「蒼、次、いつ会える?」

「十条お前気持ち悪いぞ、カップルみたいな事言うな。東京に来たらいいさ。」

「頑張って東京出張でも作るか。また、連絡する。」

「おう」

 

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